都市から少し離れたその場所に、里山に抱かれた美しい町があります。
朝靄に包まれる田園風景、古くから続く情緒ある温泉郷、時が止まったままの木造校舎や古民家。目まぐるしく変わる現代の谷間に残された山村の風景と、人が当たり前に繋がる里山の暮らし。いま、それら薄れていく大切なものを掘り起こし未来へと繋ぐ。
この土地でアーティストが滞在制作し、自らの表現の舞台をつくり、ここから沢山の繋がりが生まれる。アーティストと地域が共につくりあげる「第9回中之条ビエンナーレ」始まります。

総合ディレクター 山重 徹夫 DIRECTOR Tetsuo Yamashige

中之条ビエンナーレ2023が開催できたこと、今まで携わっていただいた多くの人々に心より感謝いたします。

今回、9回目を迎えられた中之条ビエンナーレは、私にとって中之条とともに歩んだ18年の節目になります。先人達が積み重ねてきた地域文化活動と比べると短いかもしれませんが、私にとっては人生の大切な一部になりました。志をともにした仲間と移住し、山村文化を知るために古民家に住み、結婚して2人の子供に恵まれ、この土地は私たち家族にとって紛れもない故郷となりました。中之条ビエンナーレをきっかけに移住した作家達も同じようにそれぞれの人生を土地と共に歩んでいることだと思います。一緒に仕事をした作家やその関係者、地域住民を数えると、おそらく数千人にのぼる出会いがあり、多くの人達と美術や地域のことなど様々な意見を交わしたことは、私自身の大きな糧となっています。

美術館やギャラリー、レジデンス等の美術作家を取り巻く環境は年々変わりつつあります。それぞれの役割はありますが、中之条ビエンナーレのように作家自身が地域や鑑賞者と関係を作っていくという試みはとても重要なことだと私は考えています。作品展示のために作られていない場所で展示するということは、様々な問題をはらみ、作家はそれを解決しながら制作を進めなければなりません。場所との関係(地域の住民を含め)を築くその過程で様々な視点をもって作品制作をすることになり、そのことは作家自身に新たな発見をもたらし、作品と鑑賞者の距離に多様な変化をおこします。故に、作品はこの土地からしか生まれえないものとなり、足を運ぶたび刻々と表情を変えて見せてくれるのです。

時代の流れにともなって中之条ビエンナーレの役割自体も変わってきました。立ち上げ当初は、作家仲間に声をかけ、そこから波紋のように派生する繋がりで展覧会をつくるという形式でした。そこには、キュレーターやギャラリストが作る展覧会ではなく、作家自身の繋がりでつくる大きな展覧会を開催したいという思いがありました。それは団体展やギャラリー展を主軸にしていた同年代の作家たちの多くが、美術の世界に息苦しさを感じていたからです。その後は、作家のグループ展やキュレーターの企画展、建築館、大学の教育プロジェクトなど、中之条ビエンナーレの中には多様な企画が増えていき、様々な分野が交流する土台となりました。また、この美術祭は、繋がりを持った作家同士が各地で多くの企画展を生むきっかけにもなってきました。そして、いまでは町内にいくつか存在するレジデンス施設だけではなく、場所の所有者の家に寝泊まりする作家や、アパートや空き家を借りて滞在する作家も増えてきています。回を重ねてきたことで、町全体が美術祭を受け入れてくれているように思えます。

数年前より、参加作家を日本国内だけではなく、海外のレジデンスや展覧会に繋げたいという思いから、2013年のベネツィアビエンナーレと同時に行われたパビリオンゼロ、2014年にポズナンで行われたメディエーションビエンナーレ、ほかチェンマイのアーティストインレジデンスなどに参加し、海外交流の準備を進めてきました。そして、本年はいままでの繋がりをさらに広げ、本格的な海外交流が始まります。2015年4月から新たな拠点となった旧伊参小学校では、世界各地でアート界を引率するオーガナイザーを招き、国際交流展を開催することになりました。そしてこの場所でオーガナイザーと繋がった作家がまた海外の展覧会で活躍するために、出来る限りのサポートをしていきたいと思います。

1995年に伊参スタジオを拠点に小栗康平氏が「眠る男」を撮影し、1998年に有笠山荘で平松礼二氏が吾妻美学校を開校し、2006年に再び伊参スタジオで私と作家仲間たちで中之条ビエンナーレを開催するという一連の芸術文化事業は、確実にこの町に良い形で根付いていると感じます。そして何より、中之条町が20年以上も前から映画や美術など創造的なものを受け入れ、言うなれば町全体でアーティスト・イン・レジデンスを続けてきたということは、本当に有意義で素晴らしいことだと思います。ここ数年間、過疎化が進む地域で、新たな芸術文化が作られ育まれていく様を目の当たりにすることが出来たことは、私にとって誇らしい経験です。
これからも、この土地と人との出会いを信じて、活動を続けていきたいと思います。

山重徹夫 プロフィール

1975年広島県生まれ。多摩美術大学を卒業後、都内デザイン会社で制作ディレクターを務める。独立後は専門学校の講師やプランナーなどを経て、デザインスタジオPlayground Studioを設立。多くの企業でクリエイティブチームに参加し、テレビ番組や広告からアプリケーションUIなどの幅広いメディアでデザインワークを担当。
2006年より地域独自の視点から芸術文化を発信することを目的に、中之条ビエンナーレを立ち上げ、総合ディレクターを務める。その後、クリエイティブコミュニケーションセンターtsumujiをプロデュースし、地域特性を活かした商品デザインやイベント企画などを展開。現在は総合的な地域ブランディングや国際芸術交流をはじめとするアートプロジェクトなど、日本各地で地域文化振興事業を行っている。

最近の主な仕事に、中之条ビエンナーレ(群馬)総合ディレクター/Viento Arts Gallery(群馬)ディレクター/クリエイティブコミュニケーションセンターtsumuji(群馬)総合ディレクター/東京藝術大学 講師/高崎経済大学「アーツマネージメント論」講師/倉庫現代美術館(群馬)館長/富士の山ビエンナーレ(静岡)総合ディレクター/逗子アートサイト(神奈川)総合ディレクターなど